ご慰霊「集大成」へ 陛下、平和への思い深く 譲位特例法公布後初の終戦の日(産経新聞)

72年前の昭和20年8月15日、学習院初等科6年だった天皇陛下は疎開先の栃木・奥日光におられた。ホテルの居室で父、昭和天皇の玉音放送を聞き、3カ月後に戻った東京で空襲による焼け野原を目にされた。こうした原体験を即位後、象徴天皇としての戦没者慰霊につなげられたとされる。その集大成に向け、譲位を可能とする特例法公布後初となる全国戦没者追悼式に今年も臨まれた。

 この日の追悼式で黙祷(もくとう)に続き、お言葉を述べた陛下は「全国戦没者之霊」と記された目の前の標柱をしばらく見上げられた。退席間際にも例年以上に時間をかけて標柱を見つめ、背後からそっと近寄った皇后さまに声をかけられ、お二方並んで一礼された。

 陛下は譲位後、象徴としての公務を皇太子さまに全て譲られる考えで、来年が最後の追悼式になる可能性が高い。陛下のお姿を間近で見守った宮内庁幹部は「ご自分の歩みも振り返り、例年以上に戦没者、遺族に思いをはせられていたのでしょう」と推し量る。

 「戦争の無い時を知らないで育ちました」。平成11年11月、即位10年にあたっての記者会見で述べたこの言葉が、陛下が戦争と向き合われる理由を端的に表している。同じ会見では、戦争の記憶が3歳だった昭和12年7月の盧溝橋事件からあることを明かされた。

 同事件を機に日中戦争、先の大戦へと突き進む日本。戦況の悪化とともに、陛下は静岡・沼津、栃木・日光、さらに奥日光へと居を移された。慢性的な食糧不足だった奥日光では、陛下も同級生に交じり、野草や山菜を摘まれた。「陛下も空腹を感じられていたはずだ」と同級生は言う。

 20年8月15日、終戦を告げる昭和天皇の声を正座して聞かれた。同11月にご帰京。「周りに何もなかった。これが一番印象に残っています」。57年の誕生日会見で、原宿駅で見た光景をこう振り返られた。

 前年の会見では「記憶しなければならない」日として、沖縄戦終結の6月23日、8月6日と9日の広島、長崎の原爆の日、15日の終戦の日を挙げられた。記憶の継承を体現するため、平成6年の東京・硫黄島を皮切りに国内外で「慰霊の旅」を続けられる。

 陛下の強い思いは、パラオ・ペリリュー島など埋もれた激戦地の歴史に光を当てられてきた。ここ数年は、戦後に旧満州から引き揚げてきた入植者による開拓地を自ら希望して訪れ、苦難をしのばれている。

 「苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません」。即位後欠かさずに臨む追悼式のお言葉にも、その思いを込められている。

 戦後70年だった27年に「深い反省」との文言を初めて盛り込み、28年と今年も踏襲された。27年には黙祷前にお言葉を読み始める段取りの誤りもあり、28年8月にビデオメッセージで譲位の意向を示されるきっかけになったとされる。

口コミとかで
いろいろな意見の書込みがあるけど
実際は【効果なし】なの?

わたしが気になっているのはコレ・・・

何でも個人差はあるから仕方ないんですけどね

ほとんど全員が【効果あり】みたいに書かれてるのが
ちょっと怪しい気もすんですけど・・・

でもちょっと期待もしてしまいますよね

やってみようか・・・悩むな~

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