譲位特例法成立 陛下、国民に寄り添われ(産経新聞)

天皇陛下の譲位を可能とする特例法が9日、成立した。先の大戦の激戦地に被災地、障害者や福祉施設。陛下は皇后さまとともに全国各地を訪れ、とりわけ苦難の道を歩んできた国民一人一人に、心を寄せてこられた。象徴としての務めに「全身全霊」を傾けてきた28年余の陛下の歩みは、人々と触れ合い、喜び、悲しみを共にされてきた歴史でもある。

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 ■ご退院直後 雪の日でも被災地をお見舞い

 「これからはゆっくりと自由に過ごしていただきたい」。東日本大震災の津波で夫を亡くした岩手県大槌町の越田由美子さん(63)は特例法成立を受けて、そう話した。

 昨年9月末、天皇、皇后両陛下は、津波で甚大な被害を受けた大槌町を19年ぶりにご訪問。震災から5年が過ぎ、まだ見舞えていない同町の再訪を強く望まれていた。越田さんは夫、弘さん=当時(63)=の遺影とともに自宅近くの沿道で出迎えた。消防団分団長の弘さんは、高齢者を救助するなどの活動中に津波にのみ込まれていた。

 平成23年11月29日に東京都港区で行われた消防殉職者の全国慰霊祭で、遺族代表として参列した越田さんを、陛下は「つらい思いをなさいましたね」と気遣われた。度重なる被災地慰問の疲れから気管支肺炎を発症し、5日前に退院してから最初のご公務だった。

 「皇后さまに支えられるように、歩いてこられたお姿を見て、胸に迫るものがあった」。越田さんは鮮明な記憶とともに振り返る。

 3年の長崎県雲仙・普賢岳噴火に始まり、5年の北海道南西沖地震、7年の阪神・淡路大震災、16年の新潟県中越地震、19年の同県中越沖地震と、両陛下は現地に赴き、被災者を励まされてきた。

 阪神・淡路大震災の発生から2週間後。両陛下は、淡路島の兵庫県北淡町(現淡路市)にヘリで降り立たれた。午後4時前、小雪が舞う厳しい寒さだった。

 町役場の消防担当だった宮本肇さん(62)は「震源地なのに阪神大震災と報道され、町民に『忘れられているのではないか』という不安が満ちていた」ことを覚えている。両陛下のお姿に、約500人が避難する町民センターの鬱屈した空気は変わった。

 消防団副団長だった野島正夫さん(76)は、救助活動や余震への警戒などで休む間もなかった。「大変でしたね」という陛下のお言葉に涙がこみ上げ「張り詰めていた気持ちが楽になった」。陛下に大きな力をもらった野島さんは「もう少し元気で頑張っていただきたい」と願う。

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 ■昭和天皇のお心ご継承 戦没者ご慰霊の旅

 フィリピン・レイテ島で米軍の猛攻を受け、九死に一生を得た元陸軍第1師団の松本実さん(96)=東京都新宿区=は今年も6月中旬、戦友たちが眠るレイテ島・セブ島への慰霊の旅に出る。「天皇、皇后両陛下がしてこられたように、気持ちでやるものだから」

 昨年1月、両陛下はフィリピンで「比島戦没者の碑」に供花した後、日本から駆けつけた松本さんを「遺族のためにいろいろ尽くしてくれてご苦労さまです」と慰労された。

 両陛下は戦後60年を前に海外での戦没者慰霊を望み、平成17年にサイパン慰問をご実現。戦後70年の27年にパラオを、さらに日本兵50万人超が犠牲になったフィリピンを見舞われた。

 松本さんは「元気なうちは慰霊を続けたいが、子供、孫の世代の関心をつなぎ留めるのは難しい」と実感。「高齢になり、娘の助けを借りることも多くなった。陛下もお子さまたちを頼られても良いのではないか」と陛下が譲位されることに理解を示した。

 「皆さんの元気な姿に接してうれしく思っています」。26年12月、原爆養護老人ホーム「矢野おりづる園」(広島市)を訪れた陛下は、被爆者である入所者と懇談した最後に、絞り出すように語りかけられた。

 被爆地に心を寄せる両陛下の広島ご訪問は18年ぶり。入所者の平均年齢は88歳だった。この2年半で懇談した10人のうち7人が亡くなった。吉本ハルエさん(94)は「陛下のお心遣いを受け言葉にならなかった」と振り返る。

 8年10月、国体のために広島市を訪れた陛下は、市長だった平岡敬さん(89)に「皇太子に勧められて読みました」と切り出された。平岡さんが被爆地の市長としての活動をまとめ、3カ月前に発行された書籍のことだった。「訪問前に勉強されてきているのに驚いた」(平岡さん)

 陛下を計4度出迎えた平岡さんは「昭和天皇がやり残した償いとして慰霊に取り組まれているのだろう。象徴とは何かが決まっていないからこそ、国民の悲しみを慰めるため実践してこられた」と受け止める。

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 ■障害者社会参加へ扉

 「お年を召され、試合会場に来ていただくのは難しいかもしれない。でも、どこかで必ず見てくださるはず。お立場が変わってもお元気で、長生きしていただきたい」

 卓球で2020年東京パラリンピックを目指す宿野部拓海(しゅくのべ・たくみ)さん(25)は、天皇陛下が譲位されても「気持ちは同じ」と話す。

 宿野部さんは自宅の仏壇で1つのラケットを大切に保管している。平成27年10月、大分県別府市の社会福祉法人「太陽の家」で陛下とラリーをした際、陛下が使われたものだ。

 「ちょっとやりましょうか」。陛下は皇后さまと創立50周年記念式典で同施設を訪れ、選手の練習を見学した際、ラリーをする宿野部さんに声をかけられた。ご参加は“飛び入り”だったが「真剣に向き合っていただいた」(宿野部さん)。ラリーの後、陛下は「海外などいろいろな所に行かれるのですね。パラリンピック頑張ってください」と激励された。パラリンピックの舞台を思い描くとき、宿野部さんは陛下のお言葉を思い出すという。

 日本障がい者スポーツ協会の井手精一郎元常務理事(92)は「両陛下がいらっしゃらなければ、今の障害者スポーツの発展はなかった」と話す。昭和39年の東京パラリンピック。厚生省(当時)の担当者として運営に関わった井手さんですら「障害者はリハビリで運動する人がいたくらいで、スポーツの大会は想像できなかった」という。

 大会では当時、皇太子だった陛下が皇后さまとともに連日、試合会場で選手に拍手を送り続けられた。卓球ダブルス金メダルの渡部藤男さん(77)は皇后さまからトロフィーを受け「緊張でお顔も見ることができなかったが誇らしかった」と振り返る。

 「国内でも毎年、続いて行えればいいですね」。大会後、東宮御所に関係者を招いた陛下は、そう述べられた。翌40年に「全国身体障害者スポーツ大会」が始まり、大会は名称を変え、現在も毎年開催される。

ネタバレ記事を見つける為に
ネットで検索してみたら
実践者の体験ブログがあった★。

わたしが気になっているのはコレ・・・

『書いてある通りに正しく実践すれば効果あり?』

何でもそうだろうけど【継続する】のが大変なんだよね。

私みたいな
飽きっぽいタイプの人でもできるかな?

本当に効果がでるなら
頑張ってみたい気もするな。

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